プリンセス訪問
ハプスブルグ家末裔のプリンセスの居城。
そこには歴史が息づいていました。
アルトシュテッテン城
ウィーン郊外、ヴァッハウ渓谷をドナウ川に沿っていくと、バロックの宝石と言われるメルク修道院があり、更にその先、ドナウ川を渡ると木々の中に"アルトシュテッテン城"はあります。
そのお城を守る、プリンセスを訪ねました。
お城の歴史
13世紀には、このお城はオーストリアの古文書にすでに登場し、17世紀になって以降、ハプスブルグ皇帝やその一族によって所有されてきました。
1889年には、フランツ・フェルディナンド皇太子が父君である大公からお城を継ぎました。
フェルディナンド大公はいわゆる貴賎結婚とされ、妻や子どもたちはハプスブルグ家の霊廟には入れないことから、お城の一角に家族のための霊廟場所を作りました。
家族のための霊廟
お城の周りの美しい眺め
第一次大戦の引き金となったサラエボ事件(1914年)でフェルディナンド大公夫妻は犠牲となり、長男が城を継ぐことになりますが、その後ナチスによるオーストリア併合により息子たちはドイツの収容所に送られ城は没収されました。
1949年に城がオーストリア共和国へと返還されると、以降、一族が守ってきました。
尚、故フェルディナンド大公以降、家族はホーヘンベルグ(故大公の妻に与えられた名)を名乗っています。
1982年には、暗殺された故フェルディナンド大公の常設博物館が開設され、貴重な写真や、世界を旅して回った際の各国からのお土産の品(日本へも寄港されています)、帝国の王位継承者であった大公の、遂には実現できなかった理想の世界地図などが展示されています。
現在の城主 プリンセス
HSH プリンセス・アニータ・ホーヘンベルグは、フランツ・フェルディナンド大公の曾孫にあたり、ルクセンブルグのプリンセスをお母様に持つ、ハプスブルグ家末裔であり正真正銘のプリンセス。
結婚後もホーヘンベルグの名と、お城を守り続けています。
プライベートスペースのサロン
そんなプリンセスが自ら、お城の一角にある先祖の納骨所を案内して(恐縮する私に「大丈夫よ、噛み付きはしないから」と冗談も)くださった後、プライベートな部屋に移りしばし、色々な質問にも答えて下さいました。
ハプスブルグ家の末裔であること、そして現代に生きるプリンセスとして、ご自分の使命感や歴史認識、哲学、教育観などをお話して下さった、すばらしい方でした。
お城の周りにはとても美しい眺めが広がっています。
"ハプスブルグ家の末裔であること、一員であることを、感じるのはどんな時なのでしょう・・・?"
"いつもです。私の遺伝子ひとつひとつに、それは入っている、私の人生全てです。"
アルトシュテッテン城は、今も、歴史が息づいている場所です。
プリンセスと。
後ろの絵は皇帝フランツ・ヨーゼフI世10歳の頃。
プリンセス訪問のレポートは、http://www.ladyweb.org/people/debutant/bn_52.htmlに掲載しております。
(写真・資料協力 Special thanks to Schloss Artstetten)
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